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三鉄唐丹駅あの日の記憶

東日本大震災がおきた3月11日、当日大きな被害をうけた三陸鉄道、その路線の唐丹駅(とうにえき)。撮影したのは2020年1月
三鉄唐丹駅の記憶01
なにげなく行き違いの列車を待っているとホームの柱に小さな張り紙を確認
三鉄唐丹駅の記憶02
いまでは遠くにしか見えない海岸線ですが、あの日内陸の高台に建つこの駅まで津波が押し寄せていたのです
三鉄唐丹駅の記憶03
新しくできた堤防など、9年という月日で復興の名のもと様変わりした駅周辺ですがあの日に起きた出来事、そのあとに続く苦境を決して忘れてはならないと思います

渋谷ノ震災の記憶

3月11日は東日本大震災が起きた日、2019年であの日から8年がたちます
渋谷の震災の記憶01 渋谷の震災の記憶02
年々風化が叫ばれる中、3月から渋谷のスクランブル交差点には震災を忘れないことを誓う大手IT企業のヤフーの巨大広告が掲示されています
渋谷の震災の記憶04
広告の赤い線の部分は実際に発生し観測された中で一番大きな津波の高さ(16.7メートル)
渋谷の震災の記憶03
交差点を行きかう人や乗り物などを優に超える高さに恐怖以外の何も感じませんが、この広告はあくまでも一企業のものだけど、震災のことを思う人がこの日どれだけいるかというのが少し気になります

石巻線の女川駅

五月の連休中に訪れた宮城県女川(おながわ)、石巻線の終着駅である女川駅
東日本大震災津波により、土台だけを残して駅舎が流失し2015年3月に内陸に移動して開業
石巻線の女川駅01
この話を聞き『ゼヒ訪れてみたい』と思い、当初の予定よりも少し足を延ばして女川駅まで行くことに
石巻線の女川駅07 石巻線の女川駅05
震災直後はすべてが流されてしまいガレキばかりの荒涼とした風景が広がっていた女川駅周辺
石巻線の女川駅03
現在は区画整備されて住宅も建物もまだほとんど何もない場所に忽然とそびえた真新しい駅舎
石巻線の女川駅04 石巻線の女川駅06
ゴールデンウィーク中ということで自分と同じくニュースを聞いた人たちでしょうか?おそらく他県から
来た人たちと駅前広場には地元の特産物を販売するテントが設営されてたりし混雑していました
石巻線の女川駅02
女川駅まで来る列車は2両しかないローカル線、終着駅としては意外と車内に乗客がいましたが
駅の駐車場に多く駐車してあったのでみなさん車できたのでしょうね(電車の本数は少ないですし
石巻線の女川駅08
ちなみに新しい駅舎には町営の温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」が併設されています。さすがに撮影は
控えたのですが、舎内の天井がとても特徴的な建築構造をしていたので写真に収めておきました
今後、駅周辺も復興していきまた新しい風景が広がっていくのでしょうね



鎮魂の碑

2011年3月11日「東日本大震災」で千葉県津波被害のあった旭市飯岡地区
鎮魂の碑04 鎮魂の碑03
現在は旭市といいますがかつては飯岡町と呼ばれていました。自分は生まれが
もともとの旭市出身なので隣町である飯岡にはよく子供のころ立ち寄った記憶があります
鎮魂の碑02
津波のあった浜辺には鎮魂の祈りを込めた石碑がたち、夏には海水浴場も開かれたり
徐々に町並みも戻っています(ちかくの飯岡の灯台から眺めた風景からも読み取れます)
鎮魂の碑01 鎮魂の碑05
4年がたち津波直後から比べると被災したのがウソのように復旧していく風景もあればいまだに
崩れたブロックまま放置されたままの光景があると忘れてはいけないと心に思います

三年経った気仙沼の街

2014年5月の連休、毎年GWは東日本大震災以前から東北地方を訪れているのですが、
震災から三年がたち被害の大きかった気仙沼にやっと足を運びました。この日、先の記事でも
紹介したように岩手県大船渡からバス移動(BRT)でJRの気仙沼駅に到着
3年経った気仙沼の街01
市内にはまだまだ生々しく津波が打ち付けた建物や家屋が流された跡地などが残っています
3年経った気仙沼の街13 3年経った気仙沼の街15
そんな絶望的な光景を見ていると近くで大きな太鼓の音が聞こえてきました

近くの復興商店街と名前の付いた建物で休みの日ということもありイベントが行われていました
3年経った気仙沼の街03
威勢の良い大きく声を張り上げる体育会系の学生さんの掛け声とともに地元の方々の
演奏などはみているこちらも元気が湧いてきます(学生さん、着ている服のように顔真っ赤
3年経った気仙沼の街06 3年経った気仙沼の街07
ちなみにトップ写真からチラチラ写っているキャラクター、「ホヤぼーや」というそうです

さらに港の方にいくと飲食店が立ち並ぶ「復興屋台村」がありました
3年経った気仙沼の街09 3年経った気仙沼の街08
昼時ということもあり、多くの観光客であふれかえっており、長蛇の列ができているお店も
あまりの混雑で詳しくは人が多くて撮影控えるほど、ちなみに自分もこちらの一軒で昼食を
3年経った気仙沼の街02
復興屋台村のすぐちかくには少ししゃれた雰囲気の建物。こちらにも人が並んでいたので
人気の飲食店かな?と思ったらは俳優の渡辺謙さんの「Kポート」という芝居小屋だそうです
3年経った気仙沼の街12 3年経った気仙沼の街14
多くの建物が倒壊、破損している中、古い土蔵を発見(右)。登録文化財「小野健商店土蔵」
以前はもっとちゃんとした蔵だったようですが、津波にでこのような姿に。
3年経った気仙沼の街04
すぐとなりのお店も歴史がある建物のようですが、土蔵にしても木造の建物にしても
海から多少離れているとはいえ、津波被害に耐え抜いたというのには驚かされます
3年経った気仙沼の街10 3年経った気仙沼の街11
電車の関係上あまり長くは滞在できませんで、気仙沼駅に戻ることに数時間に
一本の路線なので駅につくと長い行列ができていました。電車内もほぼ満席でしたし
3年経った気仙沼の街05
連休中ということもあり、多くの観光客、見物客が集まっていた気仙沼、
一日も早い復興を願います

気仙沼観光コンベンション協会
http://www.kesennuma-kanko.jp/